引用元:https://www.moudouken.net/

ミステリー作家の西村京太郎さんを
ご存知ですか?

おそらく知らない方は
ほとんどいないのではないでしょうか?

私は火サスなどが大好きで
テレビで十津川警部や左文字シリーズを
よく見ていました!

そこでよく目にする
『西村京太郎サスペンス』。

今回はこの西村京太郎さんについて
年齢や本名、経歴や
病気の過去についても

調べて行こうと思います!!

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西村京太郎の年齢や本名は?

正直私は西村京太郎さんは山村美紗さんと
同じくお亡くなりになられているとばかり
思い込んでおりました。。。

しかし、未だに連載を抱えている売れっ子で
現役の作家さん。

その西村京太郎さんの年齢や
本名について調べて行こうと思います!

まず年齢ですね。

西村京太郎さんは
1930年9月6日生まれなので

現在の年齢は87歳ですね!!

87歳にしていまだに連載を抱えているとは
その精神力がすごいですね!

アイディアがあふれ出してくるんですかね?
才能って本当にスゴイな~。

続いては本名ですね!

『西村京太郎』って本名っぽいですが
ペンネームなんです。

本名は矢島喜八郎(やじま・きはちろう)さん。
このままでも行けそうですが(笑)

ちなみに
『西村京太郎』の由来は

人事院時代の友人の苗字で『西村』。
東京出身の長男ということで『京太郎』。

以前にも『黒川俊介』や『西崎恭』という
ペンネームを使用したこともあるそうですよ☆

西崎恭名義では『宇宙艇307』が
SFコンテスト第3回(1964年)で努力賞として入賞しています。

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西村京太郎の経歴やプロフィール

名前:西村京太郎(にしむら・きょうたろう)

本名:矢島喜八郎(やじま・きはちろう)

生年月日:1930年9月6日

出身地:東京都品川区

職業:小説家(推理作家)

言わずと知れた推理小説家!

トラベルミステリーの第一人者であり
十津川警部の生みの親として知られています!

まずは西村京太郎さんが小説家に
なるまでの経歴を見ていきたい思います!

東京陸軍幼年学校在学中の
15歳で終戦を迎えた西村京太郎さん。

東京都立電機工業学校
(現・東京都立産業技術高等専門学校)卒業後は

臨時人事委員会(人事院)に就職します。

人事院って国家公務員なんですって。

職場ではダンス部や英語研究部があって、
小説を読むのが好きだった西村京太郎さんは
文芸サークルに入っていました。

この頃はまだ全く小説を書こうとは
思っていなかったようです!

そんな西村京太郎さんの転機は
人事院に勤めて11年目の時。

役人は向いてないな~と思っていた時に
松本清張の『点と線』を読んで
『僕でも書けるかも』と思ったそうです(笑)

その時職場の上司からも
お見合いを迫られていたらしく

結婚したら終わりだと
結婚から逃げて29歳で退職します。

職場は母親や妹たちに黙って辞めて
毎日出勤するふりをして家を出て

上野の図書館で
午前中は小説を読む
午後は小説を書く。

そんな毎日を送っていました。

当時はジャンルは決めず、
懸賞金狙いで投稿しまくったそうです(笑)

役所の退職金で1年間は
食いつなげるだろうと思っていたけど

やっぱりお金は底をつき
パン屋で住み込みで働くことになります。

母親は泣いていたそうです。

その後も
競馬場の警備員・生命保険外交員
トラック運転手・私立探偵など

食べていくためにアルバイトで
生計を立てていたようです。

その後、
1961年に「宝石」増刊号にて
「黒の記憶」が掲載されデビュー。

1963年に「歪んだ朝」で
オール読物推理小説新人賞を受賞。
ここで探偵の仕事は辞めます。

ここから小説家専業になります♪

1964年 - 初の長編『四つの終止符』を刊行。
1969年 - 初の新聞連載『悪の座標』(『悪への正体』と改題)を徳島新聞に連載。
1978年 - 鉄道ミステリー第1作となる『寝台特急殺人事件』を刊行。
1982年 - 唯一の時代長編小説『無明剣、走る』を刊行。
1988年 - 『名探偵なんか怖くない』がフランスで翻訳刊行される。
1994年 - 第1回「鉄道の日」鉄道関係功労者大臣表彰される。
2001年 - 神奈川県湯河原町に「西村京太郎記念館」がオープン。
2004年 - この年、新刊本の刊行数が過去最高の20冊に達する。
2005年 - 湯河原町第1号となる名誉町民の称号が贈られる。
2009年 - 十津川郷観光大使に委嘱される。
2013年 - かしわざき大使に委嘱される。

引用元:Wikipedia

初期は社会派推理小説を書いていた
西村京太郎さん。

スパイ小説、クローズド・サークル、
パロディ小説、時代小説など多彩な
ジャンルの作品を発表しています。

西村京太郎さんの代名詞ともいえる
『トラベルミステリー』のきっかけは
ヒット作『寝台特急殺人事件』でした。

鉄道などを使ったトリックやアリバイ工作には
ファンからの根強い人気があります。

しかし、鉄道ミステリーのシリーズがヒットしたことで
そのジャンルしか書かせてもらえず、

ご本人は『江戸時代を扱った時代小説』
を書きたいと長年思っていても

どの出版社にも
『いいですね。でも、それは他の社で』
と断られてしまうらしいです(笑)

この年代になっても書きたいものが
書けないってプロって大変だなと思いますね…。

数々の作品を世に送り出している西村京太郎さん。

オリジナル著作は、
2012年3月10日発行の『十津川警部秩父SL・三月二十七日の証言』で500冊
2015年2月25日発行の『東京と金沢の間』で550冊

に達し、その後も続々と新刊を出していて
単行本の累計発行部数は2億部を超えるとのことです!

この2億部という数字は現在日本では
西村京太郎さんと赤川次郎さんの2人しかいない
そうですよ!

受賞歴など

1961年 黒の記憶
第14回宝石賞候補
1962年 病める心
第5回双葉新人賞二席入選
1963年 歪んだ朝
第2回オール讀物推理小説人賞受賞
1964年 宇宙艇307
第3回SFコンテスト努力賞受賞
1965年 天使の傷痕
第11回江戸川乱歩賞受賞

1967年 D機関情報
第20回日本推理作家協会賞候補

1976年 消えたタンカー
第29回日本推理作家協会賞(長編部門)候補

1977年 消えた乗組員
第30回日本推理作家協会賞(長編部門)候補

1979年 炎の墓標
第32回日本推理作家協会賞(長編部門)候補

1980年 夜間飛行殺人事件
第33回日本推理作家協会賞(長編部門)候補

1981年 終着駅殺人事件
第34回日本推理作家協会賞(長編部門)受賞

1997年
第6回日本文芸家クラブ大賞特別賞受賞

2004年
第28回エランドール賞特別賞受賞

2005年
第8回日本ミステリー文学大賞受賞

2010年
第45回長谷川伸賞受賞

2016年 十津川警部シリーズ
第1回吉川英治文庫賞候補

2017年 十津川警部シリーズ
第2回吉川英治文庫賞候補

 

西村京太郎さんについて

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実は病気の過去がある!

1974年頃(44歳くらいの時)
肝臓障害で療養生活を送ることになります。

肝障害と言っても原因は様々で…
肝炎ウイルスだったり、お酒だったり…。

お酒が原因だったりすると
30代40代の中高年の方が多いんですよね~。

療養生活ですから入院する程ではなかった
ということであまり大ごとではなかったのかな?

1987年(57歳くらいの時)
腎結石で入院するも2日で退院。

尿路結石とも言うやつですね~。
男性の10人に1人がなるとも言われているそうです。

結石のできる場所によっては激痛が走ったり
血尿がでたり残尿感があったり…
命に関わる病気ではないですね!

1996年1月(66歳くらいの時)
脳梗塞で倒れ入院することになります。

脳の血管が詰まってしまう病気ですね。

危険因子としては飲酒や喫煙
運動不足や肥満、ストレスなどがあります。

喫煙や飲酒はわかりませんが、
小説家さんのイメージだと
ストレスや運動不足は大いにありそうな因子ですね。

脳梗塞になってしまうと
血流が滞るため、早期発見が重要なんです!

ろれつが回らなくなったり、手が動かしにくかったり
という感じで気が付いたりして
早期の発見だと症状は軽くて済むようです。

文字は書けるということなので
早い段階で処置ができたのではないかな
と思われます。

そのとき集まった編集者にはペンを持たされ
『何か書いてくれ』と手が動くことを確認されたそうです。

…まぁ編集者も仕事ですからね、仕方ないですけど
命だけでも助かって良かったですよ本当に。

現在でも左半身の一部が不自由なんですって。

私の父もちょっと前に軽い脳梗塞をやって
手に不自由さが残っていてとても不便そうです。

かという父はそれ以降うまく書けないと言って
ペンを握らなくなりました(笑)

そう思えば西村京太郎さんすごいな~。

いや命が助かっただけで充分なんですがね(汗)

 

以上、今回は西村京太郎さんの

本名や年齢について、
プロフィールや経歴について、
病気の過去について調べてきました!

ご覧いただき
ありがとうございました!

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